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サッカープラネットの実績

当社は、スペイン、フランス、ポルトガル、ドイツ、イタリア、イギリス等に独自のネットワークを活かし、多くの選手達の移籍を実現させました。また、多くの留学生も南米やヨーロッパでプレーしています。更に、チーム単位での海外遠征も手がけております。

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武田修宏 Nobuhiro Takeda

’86年に読売クラブへ入団。その後プロへ転向し華々しい活躍を見せ、’94年にはJリーグベストイレブンに選出される。ジュビロ磐田、京都パープルサンガ、ヴェルディ川崎やジェフ市原でプレーした後、’00年にパラグアイ1部のスポルティボ・ルケーニョへ移籍。帰国後ヴェルディ川崎に復帰するも’01年に現役を引退。日本サッカー協会S級ライセンスを取得、JFAアンバサダーとしてもサッカーの普及に貢献。また、テレビ、ラジオ、新聞など、様々なメディアでサッカー解説を中心に活躍中です。

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廣山望 Nozomi Hiroyama

‘01年パラグアイのセロ・ポルテーニョに移籍し、日本人初のリベルタドーレス杯出場、そして初の得点を記録。この実績が認められ、日本代表に選出。ブラジルを経て、ポルトガル1部のスーペル・リーガ(ブラガ)、フランス1部のリーグ・アン(モンペリエ)で日本人として初出場を果たす。日本で再びプレーした後、’11年に渡米しリッチモンド・キッカーズで活躍。そして’12年に現役を引退する。その後、日本オリンピック委員会の海外指導者留学制度を利用し1年間のスペインでコーチ研修後、現在はJFAアカデミー福島でU-15の育成に携わっている。

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福田健二 Kenji Fukuda

’96年に名古屋グランパスでJリーグデビュー。FC東京やベガルタ仙台でプレー後、’04年にパラグアイへ渡る。1部のグアラニに所属しゴールを量産、リベルタドーレス杯にも出場し得点を決める。活躍が認められ、メキシコリーグへ移籍。そしてスペインで2シーズン半過ごした後ギリシャへでプレー。その後日本へ戻り愛媛FCで3年間所属するも再び海外に活躍の場を求めて香港へ渡る。 4年シーズンを戦った後、現役を引退する。

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小澤英明 Hideaki Ozawa

‘92年に鹿島アントラーズに入団。U18、U19のユース代表に、そしてアトランタ五輪代表候補に選出される。’98年には横浜マリノス、そしてセレッソ大阪とFC東京を経て’04年に鹿島アントラーズに復帰する。’07年・’08年・’09年にはJリーグ史上初の3連覇を達成する。そして’10年、パラグアイのスポルティボ・ルケーニョへ移籍する。元パラグアイ代表GKのチラベルト氏からも高い評価を受けるなど、初の日本人ゴールキーパーの活躍はパラグアイで注目を浴びた。

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相馬崇人 Takahito Soma

東京ヴェルディの下部組織出身の相馬は、国士館大学を経て’03年に東京ヴェルディに入団。左サイドバックとして活躍、’06年には浦和レッズへ移籍。そして’09年にはスーペルリーガ(ポルトガル1部)のマリティモと契約。念願の海外移籍を果たした相馬は1年半プレーした後、ドイツのコットブスへ移籍。そして現在はヴィッセル神戸でプレーしている。 

日本人留学生の実績

クラブとの信頼関係や幅広いネットワークを強みとしているサッカープラネットでは、プロサッカー選手だけではなく、多くの留学生をパラグアイやスペインへ送り出しています。クラブの練習に参加するだけではなく、クラブに登録し公式戦に出場しています。また、現地で認められれば、上のカテゴリーでトライアウトを受ける事ができ、プロを目指す人のサポートも行ってきています。

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杉田祐希也選手

弊社のトライアウトを受けた杉田選手は、サッカープラネットのヨーロッパ代理人グループの目にとまり、実力が認められエルクレスCFと契約することになりました。サバデル戦で初ゴールを決め、ムルシア戦で2アシストの活躍を見せた。

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選抜された選手によりチームを結成し、スペインのビジャ・レアルと練習試合を行いました。

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日本だけではなく、中国スーパーリーグクラブのヨーロッパ遠征をコーディネートしました。 サミュエル・エトオがプレゼンターを務める『LF CUP』に参加。

パラグアイサッカーには親日的な雰囲気があります。環境は日本とガラリと変わりますが日本人がプレーして、疎外感を感じることはないでしょう。ディフェンスは非常に強いですが、テクニックは日本人でも十分通用します。パラグアイと日本で練習方法に違いはあまりなく、あえて言えば、戦術のトレーニングより実戦形式のトレーニングが多いと感じました。また、パラグアイは暑いですが、試合は夜涼しくなってから行われるので、サッカーをするのに不都合はなかったです。パラグアイの生活は物価が安く、生活費がそれほどかからないメリットがあります。インターネットもあるし、 治安も他の南米の国に比べると良く、困ることは あまりないでしょう。食事は全般的においしかったです、特に好きだったのはエンパナダ(肉詰めのパイ) やギッソ(パスタの煮込み料理)でした。 休日は僕の場合は、友人の家に行って誕生パーティーや結婚式といった集まりに参加することが多かったですね。テレレというパラグアイのお茶をみんなで回し飲みして、たわいもない話しをしてs ゆっくり過ごすこともありました。これから行く人も、思い切って飛び込んでプレーしてみればいいと思います。 行って、自分で楽しもうと思えば充実した体験を得られる でしょう。

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廣山望
Nozomi Hiroyama

パラグアイのサッカーは華やかさはないけど、しっかりした技をベースにしています。自分は身体の使い方をパラグアイで覚えました。向こうのごつい選手とやるときに、真正面からぶつかるんじゃなくて、タイミングをずらしたりしてボールをキープし、シュートするようになりました。  パラグアイ人はいい人たちばかり。そこまで入ってくるかってところまで入ってきます。こっちがちゃんと接していれば、向こうも応えてくれます。困るのは時間にルーズなところ、でも、もう最初からそういうもんなんだと考えてしまえば、あまり気にならなくなります。  留学生は、あまり構えず、まず楽しむことを頭に置いてほしいです。とにかくコミュニケーションが大事なので、スペイン語も挨拶だけは必ず覚えて、好奇心を持って取り組んでください。スポンジのようにどんどんいろんなことを吸収すれば、向こうでの生活も楽しくなるはずです。

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福田健二
Kenji Fukuda

Para Los ARQUEROS
〜 アルケーロスたちへ 〜

私がパラグアイの地を戦いの場に選んだのは「南米のゴールキーパー大国」と言われて いるからでした。 パラグアイではゴールキーパーのことを「ARQUERO・アルケーロ」と呼びます。 一つしかないポジションを、数名・数十名のプレーヤーが競い合うという日常は、 とても厳しいものがありました。 緊張感を持ち続ける事や戦うことの意義を知る事、プレーヤーが「どの部分に 意識を向けて行くべきか、そして高めていくのか」など、パラグアイはサッカーで 生き抜くためのヒントを教えてくれる場でもあります。 「ただ単にプレーでアピールするだけでは勝ち取れない南米サッカーの世界…」 私が大切にした事は人とのふれあいでした。 「おおらかで話し好き」 パラグアイ人の印象は、まさにこれです。 町中やスタジアムなど、至る所で仲間同士がテレレ(マテ茶)を回し飲みしながら 話しをしています。 当然、練習場でもその風習は同じです。 トレーニング前後やトレーニング中でも戦友たちとの習わしは行われます。 この様な独特の文化が今でも大切にされているパラグアイ。 テレレ(マテ茶)、グアラニ語(原住民 グアラニ インディオの言語) 薬草治療などの、またプレーヤーが若い年代から自分の生き方やアイデンティティーを 自覚している事も特徴の一つだと感じました。 また、パラグアイを始め南米には、たくさんの日系移民の方たちが独自の文化を 根付かせています。 私も先人たちからどれだけの恩恵を受けたかわかりません。 日本から一番遠い国で、今もなお「古き良き日本人の心」が脈々と受け継がれているの を知ることは、今後の人生に大きく影響してくることと思います。 大自然のエネルギーと人々の情熱が溢れるパラグアイ。 自分の可能性を広げるための一歩を「南米の大地」から踏み出してほしいですね。

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小澤英明
Hideaki Ozawa