サッカープラネットの実績

体験談

野本 祐樹 選手
2009年2月から10月まで (パラグアイ4部のレコレタに所属)

1.パラグアイ留学を選んだ理由は?

海外で留学することを考えた時に欧州と南米で迷いました。結局2007年にドイツへの留学を決めたのですが、現地でプレーするなかでブンデスリーガの試合を観るといつもチームの中心には南米の選手がいました。想像もつかないようなプレーでチャンスを作り、ゴールを決め続ける彼らを見て、南米の選手はサッカーが根付いている欧州でも助っ人としてプレーできる上手さと貫録があり、日本ともドイツとも違うと感じました。だからドイツでの挑戦を終えた後、再び海外で経験を積もうと考えてすぐに浮かんだのが南米で、ドイツ留学前に迷ったパラグアイという国でした。

2.パラグアイサッカーの特徴は?

南米だから『テクニックを重視したサッカーをする』という概念がありましたが、実際パラグアイでプレーすると、そこまで技術重視というわけではないと思いました。
原因としてまずピッチに問題があります。グラウンドはパラグアイ1部の上位クラブを除けばデコボコの酷い状態で、細かく繋ぐようなサッカーには適していません。自分が所属したチームであるレコレタや色々な試合を観てきた中であくまで主観ですが、パラグアイサッカーはシンプルなサッカーが基本でした。まずDFラインでボールがある時の選択肢は、中盤の中央にいるかMFか前線にいるFWへのパスです。大体どのチームもFWと真ん中にいるMFに力のある選手がいて、MFにパスが回ったらタメを作るか、素早くサイドに展開するなどリズムを作ります。DFからFWにロングボールが来た場合は、大体競い合いに強い方のFWが基本忠実に味方にパスをして、パスを受けた見方は走り込んだサイドMFへ展開し、サイドMFは1対1なら勝負をしてセンタリングを挙げ、中にいるFW2人がゴールを狙うとう形が基本でした。試合展開によって他の戦い方もありますが、内容よりも勝利を求めるチームが多かったので、大抵あまり手数をかけず一直線にゴールを狙うサッカーをしていました。

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3.ドイツへの留学経験もありますが、ドイツとパラグアイサッカーの違いは?

ドイツはブンデスリーガレベルに近付けば現代サッカーによくある4バックシステムですが、下のリーグなら大体3バックシステムで昔懐かしのキック&ラッシュが基本です。自分が経験したレベルのサッカーは、DFラインから力強いFWにロングボールを放り込み、それをサイドに展開してからシンプルにセンタリングを挙げてFWに勝負させていました。ディフェンス面もシンプルの一言で、とにかく1対1の勝負に負けるなど口煩く言われていました。大体試合前に対面する選手を指名され、試合中の90分間オールコートでマンツーマンの勝負が続きます。全員がマンツーマンの相手がいるので、当然フォローなどなく、効率が悪いと感じながらもそれぞれがドイツの伝統で試合に出るための条件だと受け入れてプレーしていました。
パラグアイのサッカーもプレーする中ドイツと似ている感じで、攻撃はシンプルで守備は1対1には絶対に負けないという意識が根強かった気がします。パラグアイ代表の試合などを観ても感じましたが、ディフェンスは全員1対1に絶対の自信があり、とにかく目の前の敵を90分間封じ込めることに全力を注ぎます。そしてオフェンスはカウンターや個の力でゴールを狙っている印象がありました。

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4.野本さんはコーチやチームメイトと良い関係を築いていましたが、どのようにコミュニケーションをとりましたか?

一度海外を経験していたので、外国人とのコミュニケーションに最初から萎縮することはありませんでした。ただ、所属チームの練習に参加してすぐ感じたのが『何でわざわざ日本から来たんだ?』という選手達からの疑問の眼差しでした。パラグアイの選手達から見れば、何故豊かな日本から貧困があるパラグアイへ来るのか理解できず、正直最初はお互いどう接して良いかわかりませんでした。でもドイツ留学の経験があるので、すぐに『自分から積極的に選手の輪に入る』という考え方で選手達と接してきました。自分の居たチームには小さな控室があり、選手は中に入るとすでにいる選手達全員に握手をします。仲の良い選手同士だとウィンクをしたり、軽く拳を付き合わせたりします。自分はできる限り早くグラウンドに向かい、既に来ていた選手達と覚えたてのスペイン語で会話をしながら続々とやってくる選手達に一声かけながら握手を交わし続けます。本当に些細で短い会話ですが、根気強く毎日続けていくと、最初の頃は眼も合わせてくれなかった選手がやがて眼を合わせてくれるようになり、すぐ近くに座るようになったり、気がつけば笑顔を浮かべてくれるようになりました。2009年のレコレタはプリメーラ(1軍)とレセルバ(2軍)を合わせて40人近く選手がいて、奨っ時期全員の名前を覚えるのに苦労しました。ただ出来る限り名前を呼びながら握手を交わすと、次からは向こうからも自分の名前を呼んでくれるようになり、入団してしばらくすると自然と選手全員の名前を覚えていました。根気強く小さな事を積み重ねていった結果、仲の良い友達同士がしている拳を付き合わせるという行為を自然と向こうからしてきてくれた選手がいた時は、たったそれだけのことなのに凄く嬉しかったのを覚えています。

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5.練習時間や練習内容を教えて下さい

練習時間は基本火曜から金曜が午後3時から2時間、試合前日の土曜が朝7時過ぎから2時間未満です。オフは月曜のみで、他の留学生から話を聞くと、試合前日と試合後は休みの場合が多いようですが、レコレタの監督は練習好きなので基本休みは1日のみでした。
練習内容は、試合を終えた後の火曜なら試合に出た選手は軽めの走り込みで、試合に出番がなかった選手は紅白戦。試合がなかった週は、選手全員で走り込み&筋トレをします。
水曜は色々な角度からのシュート練習、木曜と金曜は大体紅白戦を行います。その紅白戦の中で試合を想定したセットプレーの確認や前節失点してしまったシーンを思い出させて修正します。土曜は試合前日なので、いうtも遊び感覚でゲームをしていました。試合前にリラックスさせるのが目的なのか、DFやGKがオフェンスしたり、いつも前に居る選手が後ろでディフェンスするなどレクレーション感覚でした。

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6.クラブの環境や設備に関してどのように感じましたか?

グラウンドは正直ドイツや日本と比べると酷かったです。チームメイトは『天然芝だ』と言い張っていましたが、正直雑草が生えている程度でした。だからボールは不規則に変化し、バウンドすると正直どこへ転がるか分からない時もありました。だからこそトラップする瞬間はどんな時も集中しましたし、酷いグラウンドなので走るだけで足腰を鍛えられていた気がします。
ボールは多くても6個ほどで、シャワーも時々水しか出ないなど色々と不便な事もありましたが、だからこそボールの大切さや日本やドイツがどれだけ便利だったのかを理解できました。

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7.生活面で困ったことや驚いたことは?

困った事より驚いた事の方が多かったです。
例えば、バスが1時間ぐらいかかる場所でも10分程度の場所でも同じ金額で行ける事。これは日本では考えられない事でした。移動の際はバスをよく利用していたのですが、バスが信号で止まるとふいに子供たちがバスの中に入ってきて、持っているお菓子や果物を売りに来た時は本当に驚きました。売れなかったらすぐバスを降り、次のバスがやってきたら再び乗り込んで、そんな事を子供たちが一日中繰り返し行っていました。また、車に乗っている時、信号待ちで停車した瞬間にブラシを持った子供たちがガラスなどを勝手に磨き始めてチップを要求する光景にも驚かされ、そこまでしてでも金銭を稼がなければならない現状には色々と考えさせられました。

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8.宿舎での生活は?

宿舎の2階で留学生達と暮らしていました。基本2人部屋で、ベッド・クローゼットなど生活に必要な物は用意されています。2階にはのんびりとくつろげるスペースがあり、そこにはテレビがあって世界中のサッカーが観れます。2階の上にある屋上には筋トレが出来る器具があり、練習のない日などはよく自分のたりない部分を鍛えていました。食事は朝・昼・晩と用意され、何不自由なくサッカーに専念できる宿舎でした。

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9.留学を終えてどのように感じましたか?

結果を残せたわけではないですが、留学期間は自分にできる全てを注ぎ込んだと自信を持って言えます。ドイツ留学は色々問題があり、帰国して悔いが残ったのですが、パラグアイ留学は『今の自分にできることはやりきった』と帰りの飛行機の中で感じました。

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10.これから留学する人へアドバイスをお願いします。

海外でただサッカーをしていても上手くなることはないと自分は思います。今の自分に何が出来るか、何が足りないのかを常に考え、練習では当たり前ですが常に100%の気持ちで取り組まないと時間はあっという間に過ぎていきます。アドバイスになるかわかりませんが、何事も積極的に取り組むと自分は良い方向へ進めました。色々上手くいかない時も当然あると思いますが、そんな時こそ積極的に頑張ってみて下さい。

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