サッカープラネットの実績
当社は、スペイン、フランス、ポルトガル、ドイツ、イタリア、イギリス等に独自のネットワークを活かし、多くの選手達の移籍を実現させました。また、多くの留学生も南米やヨーロッパでプレーしています。更に、チーム単位での海外遠征も手がけております。
武田修宏 Nobuhiro Takeda
’86年に読売クラブへ入団。その後プロへ転向し華々しい活躍を見せ、’94年にはJリーグベストイレブンに選出される。ジュビロ磐田、京都パープルサンガ、ヴェルディ川崎やジェフ市原でプレーした後、’00年にパラグアイ1部のスポルティボ・ルケーニョへ移籍。帰国後ヴェルディ川崎に復帰するも’01年に現役を引退。日本サッカー協会S級ライセンスを取得、JFAアンバサダーとしてもサッカーの普及に貢献。また、テレビ、ラジオ、新聞など、様々なメディアでサッカー解説を中心に活躍中です。
相馬崇人 Takahito Soma
東京ヴェルディの下部組織出身の相馬は、国士館大学を経て’03年に東京ヴェルディに入団。左サイドバックとして活躍、’06年には浦和レッズへ移籍。そして’09年にはスーペルリーガ(ポルトガル1部)のマリティモと契約。念願の海外移籍を果たした相馬は1年半プレーした後、ドイツのコットブスへ移籍。そして現在はヴィッセル神戸でプレーしている。
日本人留学生の実績
クラブとの信頼関係や幅広いネットワークを強みとしているサッカープラネットでは、プロサッカー選手だけではなく、多くの留学生をパラグアイやスペインへ送り出しています。クラブの練習に参加するだけではなく、クラブに登録し公式戦に出場しています。また、現地で認められれば、上のカテゴリーでトライアウトを受ける事ができ、プロを目指す人のサポートも行ってきています。
杉田祐希也選手
弊社のトライアウトを受けた杉田選手は、サッカープラネットのヨーロッパ代理人グループの目にとまり、実力が認められエルクレスCFと契約することになりました。サバデル戦で初ゴールを決め、ムルシア戦で2アシストの活躍を見せた。
選抜された選手によりチームを結成し、スペインのビジャ・レアルと練習試合を行いました。
日本だけではなく、中国スーパーリーグクラブのヨーロッパ遠征をコーディネートしました。 サミュエル・エトオがプレゼンターを務める『LF CUP』に参加。
パラグアイサッカーには親日的な雰囲気があります。環境は日本とガラリと変わりますが日本人がプレーして、疎外感を感じることはないでしょう。ディフェンスは非常に強いですが、テクニックは日本人でも十分通用します。パラグアイと日本で練習方法に違いはあまりなく、あえて言えば、戦術のトレーニングより実戦形式のトレーニングが多いと感じました。また、パラグアイは暑いですが、試合は夜涼しくなってから行われるので、サッカーをするのに不都合はなかったです。パラグアイの生活は物価が安く、生活費がそれほどかからないメリットがあります。インターネットもあるし、 治安も他の南米の国に比べると良く、困ることは あまりないでしょう。食事は全般的においしかったです、特に好きだったのはエンパナダ(肉詰めのパイ) やギッソ(パスタの煮込み料理)でした。 休日は僕の場合は、友人の家に行って誕生パーティーや結婚式といった集まりに参加することが多かったですね。テレレというパラグアイのお茶をみんなで回し飲みして、たわいもない話しをしてs ゆっくり過ごすこともありました。これから行く人も、思い切って飛び込んでプレーしてみればいいと思います。 行って、自分で楽しもうと思えば充実した体験を得られる でしょう。
廣山望
Nozomi Hiroyama
パラグアイのサッカーは華やかさはないけど、しっかりした技をベースにしています。自分は身体の使い方をパラグアイで覚えました。向こうのごつい選手とやるときに、真正面からぶつかるんじゃなくて、タイミングをずらしたりしてボールをキープし、シュートするようになりました。 パラグアイ人はいい人たちばかり。そこまで入ってくるかってところまで入ってきます。こっちがちゃんと接していれば、向こうも応えてくれます。困るのは時間にルーズなところ、でも、もう最初からそういうもんなんだと考えてしまえば、あまり気にならなくなります。 留学生は、あまり構えず、まず楽しむことを頭に置いてほしいです。とにかくコミュニケーションが大事なので、スペイン語も挨拶だけは必ず覚えて、好奇心を持って取り組んでください。スポンジのようにどんどんいろんなことを吸収すれば、向こうでの生活も楽しくなるはずです。
福田健二
Kenji Fukuda
Para Los ARQUEROS
〜 アルケーロスたちへ 〜
私がパラグアイの地を戦いの場に選んだのは「南米のゴールキーパー大国」と言われて いるからでした。 パラグアイではゴールキーパーのことを「ARQUERO・アルケーロ」と呼びます。 一つしかないポジションを、数名・数十名のプレーヤーが競い合うという日常は、 とても厳しいものがありました。 緊張感を持ち続ける事や戦うことの意義を知る事、プレーヤーが「どの部分に 意識を向けて行くべきか、そして高めていくのか」など、パラグアイはサッカーで 生き抜くためのヒントを教えてくれる場でもあります。
「ただ単にプレーでアピールするだけでは勝ち取れない南米サッカーの世界…」
私が大切にした事は人とのふれあいでした。 「おおらかで話し好き」 パラグアイ人の印象は、まさにこれです。 町中やスタジアムなど、至る所で仲間同士がテレレ(マテ茶)を回し飲みしながら 話しをしています。 当然、練習場でもその風習は同じです。 トレーニング前後やトレーニング中でも戦友たちとの習わしは行われます。
この様な独特の文化が今でも大切にされているパラグアイ。 テレレ(マテ茶)、グアラニ語(原住民 グアラニ インディオの言語) 薬草治療などの、またプレーヤーが若い年代から自分の生き方やアイデンティティーを 自覚している事も特徴の一つだと感じました。 また、パラグアイを始め南米には、たくさんの日系移民の方たちが独自の文化を 根付かせています。 私も先人たちからどれだけの恩恵を受けたかわかりません。 日本から一番遠い国で、今もなお「古き良き日本人の心」が脈々と受け継がれているの を知ることは、今後の人生に大きく影響してくることと思います。 大自然のエネルギーと人々の情熱が溢れるパラグアイ。 自分の可能性を広げるための一歩を「南米の大地」から踏み出してほしいですね。
小澤英明
Hideaki Ozawa